地方の素材、編集日記。

ブランドを育てるって、こんなかんじなんだ。

あっという間に満たされるから、ハマる。でも、煮詰まって焦げ付く前に、火からおろそう。

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ここ数日、いろんな人の仕事の仕方を垣間見た。

楽しそうな人。苦しそうな人。ゆったりしている人。焦っている人。

 

それぞれの人生のタイミングによって、仕事はいろんな顔を見せる。

 

あまりに人によって、捉え方が違いすぎて、自分が当たり前に「仕事ってこんなもんだよね」と考えていることとの差がすごかった。

 

だから正面きって現時点での「いい仕事ってなんだ」というバカでかい問いに向き合ってみたいと思う。

 

まずはじめに。私のポジションを明確にしておこう。

 

私は、仕事はそこそこ大事にしたい派だ。

フリーランス的に仕事をしている。

単純作業はいや。反復作業もすぐあきてしまう。

 

自分がそこそこ面白がれる、インパクトがあるものを選んだ結果、裁量の幅が広い仕事をしている。仕事をしなきゃいけない場所も時間は決まっていない。

 

一方で、フリーランスのようなものなので、安定性は低い。

自分の仕事の結果を見て、今後この人と仕事をし続けたいのか検討をされる立場にいる。

 

明確に結果が数字で出る仕事なので、私に仕事を発注する側が判断しやすい。プレッシャーが強い。

 

がむしゃらに仕事をしたらよさそうだけど、もう30半ば。ただ、仕事だけをやって人生過ごしていきたいと思っているわけでもない。

今の仕事以外に、やりたいこともある。余白がほしい。

だから、仕事のために全てを捧げることはしないし、捧げたいと思っていない。

 

 

「あなたの人生を、この仕事に捧げてほしい」と言われたら、どうするだろう。

凍りつくのか。捧げるという言葉の具体的イメージを聞き出して、やれるやれないのコメントをするか……。よくわからない。その場に直面したらオロオロするばかりかも。

 

 

こんなかんじだ。

 

 

それで、「いい仕事」である。

「いい仕事」ってなんだろう。

 

金払いがいい、うんぬんではない。

仕事のクオリティのはなしだ。

 

「いい仕事」はいつも、他人に評価されて決まる。

自分がいい仕事だなぁ。やりきったぜ!と思っていても、その仕事をお願いした人にとってピンとこなければ、意味はない。

 

例えば。すごーーく丁寧に剪定などして、お庭をつくるのが仕事とする場合。

洋風のお庭を求めていたお客様に、ものすごい美しい日本庭園ができました!と言っても意味がないようなものだ。

 

 

この他人からの評価が、厄介だ。

いつも、ついてまわる。

 

ものすごいブランド力のある有名人が仕事をする場合はまた別かもしれない。

「●●さん」とご指名していただき、「●●さん」の提案するものならなんでも試してみたい、と思ってくれるファンやお客様がいれば、厄介度は低いだろう。

 

でも、私含め、そんな人は少数派だ。

 

だからいつも他人から評価されることを、大なり小なり気にすることになる。

 

しかも、この評価は、力強い。

「あなたの仕事のおかげで、こんなに助かった」なんて言われた日にはもう。

単純なので、すぐうれしくなってしまう。自分を認めてもらった感がすごい。

誰にでもあるだろう認められたい気持ちにスコーーンとストライク。

 

やられてしまう。

また、ありがとうって言われたい。

また、認めてほしい。

 

気がつくと認められたい欲で支配されそうになる。

 

 

 

でも、この他人からの評価を気にする塩梅こそが、「いい仕事」を決めるポイントなんじゃないか。

 

いろんなスタンスで仕事をしている人を見たと冒頭、伝えた。

 

この人たちを、幸せそう度(充実している度)の高低にプロットしてみる。

すると……。

 

 

見事に、別れるのだ。

 

「いい仕事」を他人の評価をそこまで気にしていない人は、幸せそうで、充実しているように見え、「いい仕事」を他人の評価を大いに前提としている場合は、総じてしんどそうであった。

 

 

仕事をするときに、自分の目線を入れる。

自分が個人的に大事にする基準みたいなもの、を入れ込むと

認められたい欲求と紐づく他人からの評価から、多少、自由になるのかもしれないと思ったのだ。

 

もちろん、自分基準だけで動いて、洋風の庭を求めるお客様に日本庭園を造る庭師になってしまっては本末転倒だ。

 

だけれども。

これを頭に入れとくと、少し、自分に自由と余裕とが生まれる気がする。

 

 

 

「いい仕事」の世間一般での考え方はもちろん、自分目線で「いい仕事」も、きっと変わっていくし、

そこへ自分がどう関わるか(自分が「いい仕事」をすべくがんばるのか、頑張りたいと思うのか)もどんどん変わっていくものなんだろう。

 

 

おいしい料理は、煮詰まって焦げつく前に火からおろす。

おろして、また中身を調整する。

 

たぶん、これは仕事も同じ。

 

火からおろして、ちょっと冷まして、様子を確認する。

必要に応じて、調整する。

 

そうしていけば、焦げ付かせずにおいしいものができる。

 

 

それを定期的にやるようにするってことが「いい仕事」なのかなと。

私は今時点で考えているなと思った。

 

(おしまい)

 

これは、天狼院書店ライティングゼミの課題提出のために作成しました。

前回に書いた後、何回か書いて、ボツって。また掲載。

 

tenro-in.com

 

少しでも張り合いがあると、書けるもんなのだなぁ。

 

最近、頭の中に響くのは、自分のスキルは仕事のためだけに使わなくたっていいってこと。あくまで、自分の人生の一部の切り売りにすぎないのだから。得たものは、好きなことを表現するために、使ったっていい。シンプルなことなのに、気がつくまでに時間がかかったなぁ。

 

今回は、ここでスイッチオフに。

 

 

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