金が人の皮をむく。
「……ん? これでこんな値段するの?」
あぁマジか。こんなんだったら買わなかったのに……。あぁマジか。でも今からやっぱ買うのやめますなんて言えない……。
私は、ここ最近、そんな失敗ばかりしている。
最近も、やらかした。
ある日、友だちのSちゃんとご飯食べに行ったときのことだ。
Sちゃんは、絵に描いたようなバリキャリだ。ものすごい勢いで稼いでいる(と思われる)。着こなしている服も、バックも会うたびに更新されている。雑誌から飛び出してきたようなかんじで、私の前に現れる。ファッションに詳しくない私が見ても、身につけているのが上質だとわかる。
告白しよう。
そんな彼女とのご飯は、いつも若干の緊張感がある。ドキドキ、ソワソワするのだ。
なぜって?
Sちゃんが選ぶお店は、東京カレンダーに出てきそうな高級店ばかりだからだ。選ぶお店の価格帯が、自分がよく行くお店の会計額の10倍もするお店ってこともよくある。
私は食べるのが好きな方だし、毎日ジャンジャンお金を使っているわけではない。だから、支払えないってわけじゃない。はず。
でも、なぜか払うときに感じる「え~? こんなに……するの?」って感覚は、胸にズンと残るのだ。
この前は、「軽く一杯飲まない?」と言われて初めて行ったお店。値段を見て、仰天した。1杯少なくとも2,500円からって価格帯のカクテルが並んでいるのだ。
ドキドキ。ソワソワ。
うう。これ、サイゼリヤで2~3回ぐらい好き放題食べれるじゃん。それが、ちっこいグラスに入った飲み物のかたちで、目の前に出される。
ゴクッとひとくち。
……おいしい。
おいしいんだけど、なんだかうれしくない。
うれしくないと思う自分に、自分が戸惑った。
だって、自分も食べるのがすきだし、おいしいものが好きだから。あれ? って。
不思議な、感覚だった。
でも、数日でぱぁっと忘れてしまう。
自分だけの生活に戻るからだろう。戸惑ったことなど、スッと頭から抜けてしまう。
自分だけでごはんをたべたり、自分と近しい経済状況の友だちとごはんをたべて、飲んでいるだけだと、全く気がつかない。
見えなくなるのだ。
でも、また見える瞬間がある。また違う友だちKちゃんとお茶をすることになった時のこと。
Kちゃんは、言う。「お金を貯めているから、落ち着いたとこがいいけど、高いカフェはちょっと……」
あ! と思った。
たまたま待ち合わせたエリアは、オシャレなカフェがあちこちにあった。
着飾った客が、あっちにも、こっちにもいて話に花を咲かせていた。
私は、大いに戸惑った。そして、あせった。
自分では、お金のことを正直に(しかも、仲良しの友だちに)話すなんてことはできないと思っていた。だから、その意味でもショックだった。
自分にとっての許容価格も、人にとっては許容できない価格だなんて、完全に忘れてしまっていたことにさらにショックを受け。
さらにさらに、自分がこれについて思いを巡らせる機会がなかったということは、自分ルールに共感してくれる、ごくごく狭い範囲で生きてきていることがわかってしまったから。
3つが同時に頭に落ちてきて、大いに戸惑ってしまった。
結局、だ。
高価なものを楽しむには、もちろんお金という、経済的な余裕も必要だ。
ない袖は振れない。そもそも、お店でサービスを受けたり、商品を購入したりできない。
でも、それだけじゃない。
高価なものを楽しむには、精神的な余裕も必要なんだろう。
お金を支払うことができても、楽しめない。
お金の対価として、サービスを受けているのに、ナゾの負の感情が乗っかってくる。
この負の感情の有無は、どこからくるのかというと、精神的な余裕からきていきように感じる。この余裕は、生まれ持ったものにも関係してくるし、今どんな状況かを、ウソがつけないほど正直に自分に突き付けてくる。
ウソが、つけない。
お金は、その人がどんな場所にいるのか。
どんな毎日を送っていて、どんな世界を見ているのか、残酷に明らかにしていく。
外見だけではわからない。
外側の皮をむいて、暮らしぶりや価値観をあらわにしてしまう。
皮むき器のようなものなのかもしれない。
自分がサービスを使ったとき、商品を買ったとき。
友だちや家族など、身近な人のお買い物に付き合ったとき。
お買い物の瞬間にチラつくあれ? に目をこらすと、もっと自分のことがわかってくるのかもしれない。
(おわり)
さてさて。ずいぶんと久しぶりに、このブログを書いた。
趣向が違いすぎるって?
実は、1年ぐらい試行錯誤して(というか、アクセルの踏み方もブレーキの踏み方もよくわからず戸惑いつつ動いてみて。)
現時点での自分の感想としては……
細かく物事を管理するのが苦手。
大まかな絵をかいて、それをカタチにしていく道筋を考えるのが好き。
細かいものも、企画っぽい感じだと楽しめる。しかも、おそらく得意。たぶん再現性のあるなにかが私の中にある。(結果が残酷なまでにわかる、ダイレクトマーケティング。この意味では感謝。)
数字を運用する、みたいなのになると、途端に逃げたくなる。
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みたいな自分の特性が見えてきた。
なんとなく、OL時代「こっちかなぁ?」と思って企画・制作の仕事に軸足を置くべく動き、そのままフリーランスになった。
強みで勝負する、という戦略は間違ってなさそうだ。
ただ、自分の強みはいろんな人の協力があってはじめて活きてくるものであって、1人では存在しえないし、逆に強みで勝負するのであれば、ちゃんと自分の得意を磨いて、広げたり深めたりしないとだめだなという結論に至った。
そのための最初の一歩が、文章を書くスキルのブラッシュアップ。天狼院のライティングゼミというわけで。
直接の部下ではないけど、制作まわり、後輩にあれこれ伝えていく機会が増えた。でも、一人前になってもらうのに、自分の言葉が足りてない。ちゃんと伝えられるようになりたい。自分なりにアレンジできたらおもしろそう。
そう思って書いてみました。
(ちなみに、これは天狼院の基準をクリアしたそうで。天狼院のサイトにも記載してもらいました。↓ )
きまぐれに、つくった課題をあげることも、ここのブログでやっていこう。
さて、今日はこのへんでスイッチオフ。